大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)2397号 判決

主文

一、昭和四七年(ワ)第二三九七号事件につき

1、原告の主位的請求を棄却する。

2、別紙目録記載の建物につき原告が二分の一の共有持分権を有することを確認する。

3、被告は原告に対し、別紙目録記載の建物につき遺留分減殺による相続を原因とする二分の一の持分権移転登記手続をせよ。

二、昭和四七年(行ウ)第六五号事件につき

原告の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを四分しその一を被告の、その余を原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

1、昭和四七年(ワ)第二三九七号事件につき

(主位的請求)

(一) 昭和二九年三月三日付大阪法務局所属公証人堀部浅作成にかかる遺言者亡寺岡千代の公正証書遺言は無効であることを確認する。

(二) 被告は原告に対し別紙目録記載の建物について大阪法務局天王寺出張所昭和四七年三月一〇日受付第五五七五号の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

(三) 訴訟費用は、被告の負担とする。

(予備的請求)

(一) 主文第一項の2・3と同旨。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

2、昭和四七年(行ウ)第六五号事件につき

(一) 別紙記載の簡易生命保険契約につき、保険金受取人が原告であることを確認する。

(二) 訴訟費用は、被告の負担とする。

二、被告

1、昭和四七年(ワ)第二三九七号事件につき

(一) 原告の主位的請求および予備的請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。

2、昭和四七年(行ウ)第六五号事件につき

(一) 主文第二項同旨。

(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。

第二、当事者の主張

(昭和四七年(ワ)第二三九七号事件につき)

一、原告の主位的請求の原因

1、別紙目録記載の建物(以下「本件建物」と称す。)は、訴外寺岡千代の所有であつたが、同女は、昭和四六年八月六日死亡した。

原告は、寺岡千代の長女で唯一の相続人であり、被告は同女の甥であるが、昭和二九年三月三日大阪法務局所属公証人堀部浅役場において、右寺岡千代が「原告に対し現金一五万円を、被告に対し本件建物をそれぞれ遺贈する。」旨の遺言をしたとしてその趣旨の公正証書遺言書が作成されている。

被告は、右遺言に基いて、大阪法務局天王寺出張所昭和四七年三月一〇日受付第五五七五号をもつて昭和四六年八月六日付の遺贈を原因とする所有権移転登記手続を了している。

2、しかし、寺岡千代の右遺言(以下「本件遺言」と称す。)は、以下の理由により無効なものである。

(一) 遺言者千代は本件遺言当時意思能力が無かつた。

すなわち、寺岡千代は、生れつき虚弱体質であり成人に達してからも常にノイローゼ気味であつたが、特に第二次大戦末期頃大阪大空襲に遭つて以来、精神錯乱状態を呈するようになつた。戦後も引続き近所の医者にかかる一方、精神安定剤を常用し、昭和二七・八年頃には常時精神錯乱状態に陥り、原告が側にいて身の回り一切の世話をしなければならない有様であつた。かかる状況下でなされた本件遺言は、千代の正常な判断に基いたものとは言えず、無効なものである。

(二) 仮に、右主張が理由がないとしても、寺岡千代は、昭和四四年一二月末日頃原告に対し「本件建物はお前にやるから登記をせよ。」と述べて実印を渡し、原告に本件建物を贈与する旨意思表示をし、原告は承諾した。したがつて、本件遺言は、遺言と抵触する千代の右生前処分により取消されたものとみなされるべきである(民法一〇二三条二項)。

3、よつて、原告は本件遺言の無効確認を求めるとともに、被告に対し右遺言に基いてなされた本件建物の所有権移転登記の抹消登記手続を求める。

二、原告の予備的請求の原因

仮に、本件遺言が有効であるとしても、原告は寺岡千代の唯一の相続人であるから、同女の遺産である本件建物につき二分の一の遺留分を有する。

よつて、原告は本訴状(昭和四七年六月一四日送達)により被告に対し遺留分減殺請求をなし、本件建物につき二分の一の持分を有することの確認を求めるとともに右持分の移転登記手続を求める。

(昭和四七年(行ウ)第六五号事件につき)

一、原告の請求原因

1、寺岡千代は、昭和三一年五月八日別紙記載の簡易生命保険契約を締結した。

2、右契約の保険金受取人は当初原告とされていたが、昭和三四年九月三日付でこれを被告に変更する手続がなされている。

しかし、右変更手続当時、寺岡千代は極めて強度な精神病に罹患し柏原病院に入院していたものであり、その後の同年一〇月一六日には北野病院に転院して治療を受けていた状態であつて、正常な意思決定をなしうる能力を欠いていた。したがつて右保険金受取人変更は無効であり、正当な保険金受取人は当初のとおり原告である。

3、然るに、被告は原告の保険金受領権を争うので、原告は前記保険契約の保険金受取人が原告であることの確認を求める。

三、被告の答弁並びに主張

(昭和四七年(ワ)第二三九七号事件につき)

1、原告の主位的請求の原因1項の事実は認める。

2、同2項は争う。

同項の(一)につき、

寺岡千代は、寺岡家の二女に生れ、相当の財産をもらつて倉持高之進を婿養子に迎えて分家し原告をもうけたが、ほどなく高之進と離婚して実家に戻り、母親シナの相談相手となつて久しく寺岡家の財産を管理していたが、昭和二〇年三月の大阪大空襲により寺岡家の家屋が焼失したため、戦後寺岡家の再興を念ずる気持を強く抱いていたものである。寺岡家の跡を継ぐべき男児は被告であり、寺岡家の屋敷跡である本件建物の敷地も被告名義になつていたが、昭和二二年当時は被告はまだ年少であつたため、千代はこの場所に自己名義で本件建物を建てて住むことにしたが、建築当初から被告が成人した暁には本件建物を被告に譲りその敷地を明渡すことを約していたものである。本件建物が建つてから一年程した頃、原告が夫津田賀忠夫とともに本件建物の隣りに家を建てて住むようになつたが、母娘の仲は極めて悪く千代は屡々原告から虐待を受けたため、死後の財産関係を明確にしておくことを決心し、実弟寺岡正秋、実姉栄沢コトと相談のうえ、両名を証人として昭和二九年三月三日本件遺言をしたものである。当時、千代はパンの販売をするかたわら、金光教の教会の役員となつて奉仕活動をしたり、結婚の仲人をする等通常の生活をしていたもので、原告が主張するような精神錯乱状態にあつたものではない。

同項の(二)につき

寺岡千代が本件建物を原告に贈与したことはなく、また贈与するような事情もなかつた。すなわち本件建物は終戦直後建てられた粗悪なもので、昭和三四年頃には千代は被告が本件建物を建替えることを希望していたくらいであつたし、また、前記の如く千代は原告と仲が悪くむしろ被告を含む他人の寺岡家の親族を頼りにしていたから、本件建物を原告に贈与するようなことをするはずはない。

3、原告の予備的請求の原因について

原告が寺岡千代の唯一の相続人であることは認めるが、本件建物が同女の唯一の遺産であることは争う。

(昭和四七年(行ウ)第六五号事件につき)

1、原告の請求原因1項の事実は認める。

2、同2項のうち、原告主張のような保険金受取人変更手続がなされていることは認めるが、右手続が無効であるとの主張は争う。

千代は原告に虐待されたため、死後寺岡家の一人として祭られることを希望し、祭祀料の意味で、本件保険の受取人を寺岡家の跡を継ぎ祭祀を司どる立場にある被告の名義としたものである。

第三、証拠(省略)

(別紙)

物件目録

大阪市天王寺区大道一丁目一五番地の一

家屋番号 第一五番一の三

木造瓦葺平家建 居宅

床面積 二七・八六平方メートル

簡易生命保険契約

保険者     国(京都地方簡易保険局)

契約者     寺岡千代

被保険者    寺岡千代

保険金額    金一〇万円

保険種類    一〇年払込終身簡易生命保険

保険証書番号  終Aヘ二九八三四二号

契約締結年月日 昭和三一年五月八日

指定受取人   昭和三一年五月八日から同三四年九月一一日まで津田賀茂代、同月一二日以降寺岡信一

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例